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西武秩父線の歴史とセメント

西武の重要な観光地域の秩父。今回は西武秩父線の歴史でも…
秩父線
この路線図を見て不思議に思う人もいるかも知れません。
そうです。飯能~吾野は池袋線なんです。
知らない人が多いのは飯能駅が終点の列車が多いのと、
路線図には飯能~西武秩父が西武秩父線としてかかれるのが原因です。
ではなぜ吾野から先が西武秩父線なのでしょうか。
どうしてこうなったかといいますと、飯能~吾野は浅野セメントが当時の武蔵野鉄道(現池袋線)に出費して作りました。
しかしこれが原因で経営は悪化となり、今の西武鉄道が出来上がります。
これについてはまたの機会で…
その後に秩父まで延ばそうと計画が現れます。
当時は都心から秩父までは3時間はかかっていました。
しかし山岳地帯でもあり、トンネルもたくさん必要で、
さらには過去の失敗もあり中々上手くいきません。
そんな時、
東横瀬にある三菱工業セメント(現三菱マテリアル)がセメント搬出に困っており、この二つの理由が合わさり、
武甲山の石灰石とセメント、そして観光開発として1967年に着工し、
今の西武秩父線が(1969年10/14)に誕生します。

この開業当日より、西武から初のレッドアロー(ちちぶ号)が運行されます。
レッドアローについてはこちら→レッドアローの停車駅の変化

1989年4/1には秩父鉄道本線とも直通運転を開始します。
秩父駅の4000系
↑秩父駅にいる西武4000系

それから1996年3/28に貨物輸送が終了し、今へと続いていきます。
西武秩父駅
↑西武秩父駅は休日はにぎわっています。

おおざっぱになってしまいましたがどうでしたか?
今回はこれで。

参考書籍
「日本の私鉄西武鉄道」広岡友紀
「西武鉄道1」 朝日新聞出版
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